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ホーヴィングの“謎の十字架”

「記憶に残る海外のコーヒーの店」の第2は、マンハッタンの北の外れに建つ中世美術館の地下の片隅だ。

私が87年のNYの凍てつく真冬のある日、クロイスターズを訪れたのは、ホーヴィングの謎の十字架を観るためだ。

ホーヴィングの謎の十字架とは何か。

トマス・ホーヴィングは、史上最若年の35歳(!)で名門メトロポリタン美術館の館長にのし上がったやり手の人物で、謎の十字架は、そのホーヴィングがまだ20代の館員だった時に手に入れた美術史上の逸品である。

60年代の初め、ホーヴィングはメトロポリタン美術館に入ってまだ間もない野心的な若手キュレーターだった。キュレーターというのは、美術館の購入候補品の鑑定をしたり展示品の解説を書いたり、特別展示の企画を考えたりする役割の専門職である。

美術館、博物館の多い欧米にはこの専門職を目指す若者が多く、大学の美術史専攻のコースを卒業した者がそこに進む。ホーヴィングも名門プリンストン大学院の美術史専攻という出身である。ちなみに彼の父親ティファニーの経営者で、ボーヴィングはその人脈と自分の専攻を生かして、初めは国際的に活躍する美術商になることが夢だった。

その彼はふとした偶然からある日、中世美術の逸品のある象牙彫り十字架の存在を耳にはさむ。それは得体の知れない経歴を持った東欧の謎の男が所有しており、現物はスイス・チューリヒスイス銀行の地下金庫に保管されているというのである。

ここから若きホーヴィングの活躍が始まる。 元々彼はメトロポリタン美術館に就職してすぐ、彼のセクションが所有している1万5千点に及ぶ中世美術品の全ての現物と関係文書に眼を通したほどの研究エネルギーを持った男だ。そのホーヴィングの探求と調査から、様々なことが分かってくる。

大きく分けてその調査対象の問題は、その象牙彫り十字架の制作由来と地域と時代、現所有者である謎の東欧人の経歴、その男がその象牙彫り十字架を入手するに至った経緯と経路、の3つに分かれる。 それらの探求から、中世英国におけるおぞましいユダヤ人大量虐殺の事実、現所有者のユーゴスラビア人が彼の出生から現在までに辿った波乱に満ちた半生やスパイも働いていたのではないかという疑惑、さらにナチによる各地の美術品略奪や戦後の米国によるその探索と返還活動、などの事実が次々に浮かび上がってくる。 そうした事実や明らかにされる展開プロセスが、下手な映画や推理小説を遥かに超える面白さなのである。

こうして様々な調査活動を行ないながら、ホーヴィングはついにチューリヒの地下金庫で、その象牙彫り十字架と対面する。それは想像を遥かに超える素晴らしいものだった! 現物を見て完全にその素晴らしさに心を奪われた彼は、今度はその十字架購入を実現するために、とんでもない金額の資金の調達やライバルの大英博物館などを出し抜くための行動に奔走することになる。その過程でホーヴィングは、後にイタリア政府からメトロポリタン美術館に正式に抗議が送られてくるような違法行為も平気で大胆に犯す。そうして最終的にその象牙彫り十字架は、メトロポリタン美術館が手にすることになるのである。

これら全てを私は、ホーヴィング本人が書いた「謎の十字架」という書物で読んでいた。そうして、いつかNYに行く機会があれば、その謎の十字架を観てみたいと熱望していたのである。

クロイスターズは、マンハッタンの北の果ての、ハドソン河に面した人影の無い丘の上に建っていた。Cloistersという英語は元々、中庭をはさんで巡る修道院の回廊のことで、そこから修道院そのものを指す意味で用いられることもある単語である。

このNYのクロイスターズというのがそもそも面白い存在だ。

米国の大金持ちの収集家が買い集めた欧州各地の修道院の時代も地域も異なる様々な部分残骸を一箇所に集め、一つの完全な修道院になるように復元したという建物なのである。 それを読んだ時には私は、いかにも米国人らしい悪趣味なやり方だと感じたのだが、実際に訪れてみると全体の雰囲気といい復元具合といい、決して嫌な印象は与えない。むしろ静かで落ち着いた、趣味の良い場所だ。ここがNYの一角であることを忘れるほどである。

謎の十字架は、地下1階の広い部屋の中心に鎮座していた。

それは縦2フィート位のこの種のものにしてはかなりの大きさのある、そして周囲の空気を引き締めるような吸引力と存在感を持った、見事な十字架だった。 第一級の美術だけが持つ、格と呼ぶしかない神秘的な全体感を備えている。

私は誰もいない部屋で暫く、近寄ってラテン語ギリシア語ヘブライ語典礼文の刻まれたその精緻な象嵌細工を観たり、今度は少し遠ざかって全体の形状が放射する目に見えない光を感じたりした。 私はその後その他のクロイスターズの展示品もぶらぶら眺め、そこから去った。

クロイスターズを去る前、マンハッタンの淋しい北の外れに建っているその中世美術館のカフェで珈琲を飲んでいる私の脳内は、あの“ホーヴィングの十字架”がここにやってくるまで辿った歴史と血塗られた物語、そして何といってもその十字架が放射する魅惑で占められていた。だからこの真冬のクロイスターズの淋しいカフェが、記憶に残る海外のコーヒーの店の、第2番なのである。